ビール瓶を手刀で切り、牛と闘う空手家の事を
テレビで知った俺は強くなりたいと思った。


そして空手を始めた。






中学校に通いながらも人を見ては
ここを叩いたらどうなるか、蹴ったらどうなるかと
シュミレーションばかりしていた。笑



高校に入ると
バス通学を辞めて、歩いた。



足を鍛えるため
つま先立ちで。苦笑



授業中は、両手の人差し指で
下から机を支え、指を鍛えた。



隣で女子生徒が、何してる〜?と
気味悪がっていた。笑



それも気に入っていた、
人が俺を変人扱いするのを。



そうすれば寄りつかないから。
当時、ドモリの俺は人と付き合うのが苦手だった。



学校の行き帰り、何か割れるものないかなと
探して歩いた、瓦でもブロックでも。



あったら、バレないように
割って歩いて自分の力を試していた。



そして、絡まれないかな?と
たまに国際通りをぶらぶら歩いてた。



そんな時、友人と歩いてると
不良に絡まれた。やった!と内心、喜んだ。



おまえら、飛んでみ〜!と指示された。
友人は飛んで、小銭をじゃらじゃら言わせてた。



俺はわざと逆らった。
逆上した不良がいきなり蹴ってきた。



それを受けて後屈立ちで構えた。
すると急に不良が



ごめんな。俺もお金が必要だった。
弟がどうのこうのと、喋り始めた。



無視してたら
行っていいよ。ごめんな。と再度謝っていた。苦笑



そんなこともあり自分に自信ができた俺は
あちこちの学校の空手部に稽古を頼み、
負けない自分に陶酔していた。



そんな自信家の俺をおじが見て、
だったら、あの高校の空手部へと
連れて行ってくれた。



後輩4人でその北部の高校へ。
部活で残っていた彼らは約20人。



20対4でボコボコにされた。
あとで聞いたら、全国でも常勝の高校だった。



面をつけてても
目尻を切って血が滴り落ちる。



手をあげる力も残っていない。
心も体もヘロヘロ。



その悔しさと言ったら
その場で死にたいくらいだった。


そして



さらにもっと強くなるにはどうしたら?
と考えた結果が、あの先生の内弟子になること。



そうすれば、起きてから寝るまで
強くなるだけの生活を送れる。



高校卒業後、東京へ行き、
空手道場の内弟子生活が始まった。



そこでも数々の逸話があるけど
それは次回に。苦笑


今の人はそこまで
自分を追い込む事はしないのだろう。



試合で負けても
根に持つような悔しさはないのかも。



自分に言い訳して
またはそんな事も忘れて生きてくのだろう。



それもいい。時代も時代だしね。
俺が若かった頃の時代じゃない。



少し寂しさは感じる。
しかしそんな時代なんだよね。



俺の役目も終わりに近いな。
と思った日でした。。。